義務教育で道徳授業の教科化。いじめは無くなるか。
みなさんこんにちわ。
こんばんわ。
バサロマンです。
さて、小中学校で道徳の授業が教科化されるという話題がありました。
ぼくはこれを重大な事と受け止めました。
今、日本で進みつつある個人主義的思想に影響を与えると思うからです。
昨今の日本は、「個人の自由を尊重」という思想が強く出過ぎてしまい、
何でもかんでもすぐにクレームをつけるという風潮があります。
例えば、売る方と買う方の立場なら、
買う方の立場が強い。
買う方が、何も事情を把握せずにすぐにクレームをつけ、
売る方がどんどん弱くなってしまう、又は、何も言えなくなる、
というのは最近ではよくある話です。
実例でいうと以下のような件。
奈良公園では鹿が放し飼いされており、
有料で鹿せんべいを買い、与える事が出来る。
動物にエサを与える事を焦らし、手を噛まれた事でクレームが急増…
という内容の記事なのですが、相手は動物です。
このようなクレームは、まともに取り合うべきなのでしょうか。
まともに取り合って、
「では鹿の放し飼いを廃止しよう。」
という話になれば、それはユーザーの本望ではないはずです。
ユーザーの常識が問われます。
ユーザーの個人の自由を優先するのか、公共を優先するのか。
これを教える事が道徳の授業なのだと僕は思っています。
個人の自由は確かに大事だと思います。
しかし、個人の上に公共があるのです。
それぞれの個人が、言いたい放題言ってしまえば、
個人の自由なんて無くなるからです。
公共の精神が守られているからこそ、個人の自由が守られるのです。
串カツの二度付けがタブーなのは何故でしょうか。
公共が優先されるからです。
道徳は子供のうちから公共の精神を教育する素晴らしい授業だと思います。
道徳授業の教科化は、小学校が2018年度、中学校が2019年度から開始という事ですが、
「数値による評価はない」という事ですので、算数や国語のように
点数を点けられるものでは無いようです。
目的は、日本人に公共の精神を持ってもらうという事なのではないでしょうか。
昨今、学校や会社でのイジメがひどく、
自殺するケースを、よく見聞きします。
このような流れを断ち切るためにも是非、
道徳の授業を強化して欲しいと思います。
関連記事:罪と反省と罰。
関連記事:情けない。モンペに屈する学校。
関連記事:死刑は不要か。凶悪犯罪を例に考察。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。