罪と反省と罰。







みなさんこんにちわ。こんばんわ。


バサロマンです。



失敗した時や悪事をした時、


上司から部下に、親から子供に、罰を与えるなんて事がよくありますね。


まあ僕はかつての嫁からも受けた事があるのですがw



この、制度というか教育法というか、


罰って本当に必要なんですかね、と思うのです。


そもそもなんで罰を与えるのかという疑問から考えてみたいと思います。





■罪と反省


何か悪い事をした人が、今後そんな事をしないようにする為には、


それが間違いであるという事を教えないといけません。


犯した間違いが、結果的に損失になるという事に結びつけるという


事実を教える事が出来れば、理解されやすいと思います。



それを理解できれば、自分が犯した間違いを反省できるはずです。


反省したら次へとつながりますので、


この先に罰を与えるというプロセスは不要と言えます。



しかし、指導する側又は親が未熟な場合、


その先に意味の無い罰を与えてしまうという事があるようです。


その場合は、その指導者に反省してもらわないといけません。



■反省できない人に罰。



一方、言っても言っても反省できない人には


罰を与えてでも分らせるという事が必要かも知れません。




端的に言えば「罰」は、受けた人間に身体的又は心理的苦痛を味あわせる事で、


「もうこりゃあ堪らん。だからもう許して。」


と屈服させる事で、言う事を聞かせるという原始的なやり方です。


間違った事をしているのに反省できない人には有効な場合があると思いますが、


あまり多用するべきやり方では無いと思います。



子供の教育の場合は、どうしても分らせておかないといけない事は、


罰を与えてでも分らせるべきだとは思います。


泥棒をしてはいけない、いじめをしてはいけない、


親を大事にしなさい、仕事は一生懸命やりなさいなど、


当たり前で、しかし大人になってもこれが出来ない人が大勢います。



こういう事をまだ小さい頃に分らせるべきです。


大人になってからではなかなか更正できない事を考えると、


罰を与えてでも子供に分らせないといけません。


こういう場合は罰を与えるという事も仕方ないのかと思います。


しかし当然のことながら、そこに愛がなくてはいけません。





■自分の威厳を保つための罰



僕が一番問題視しているのが自分のプライドや威厳を保つための罰です。


これは、自分の立場を守る為、プライドのため、利益のために、


正しいかどうかでは無く相手に罰を与える事です。


罰とは名ばかりで、多分これは制裁とか攻撃といいます。


それを知識のない人間が「罰」という名目をつければ許されると見込んでか、


嫌がらせとも言える罰を執行するのです。



お馬鹿な話ですが、読者の皆さんもこんな事をしている


上司や親を見た事がありませんでしょうか。


残念ながら、僕の周りではよく見かけます。




というように、僕がここで一番言いたいのは、


罰とは、反省できない人に止むを得ず与えるべきものであって、


罪に対して罰を与える事は当たり前という考えはおかしいということなのです。


基本的にはそう思います。




有名な著作の影響なのか、「罪」に対して「罰」が当然と捉えてしまう人が


少なくありませんが、僕はそこに「反省」も加えるべきなのではないか


と思います。




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